夏目漱石の『門』は1910年(明治43年)に朝日新聞に連載された小説で,『三四郎』『それから』に続く三部作の終編。
この中に,主人公 宗助の従兄弟にあたる安之助が,イギリスで発明されたという新しい印刷術をものにしようと苦心している話が出てきます。宗助はこの話を弟の小六から聞きます。なお,物語の筋にはあまり関係ありません。
一週間程前に、小六は兄に、安之助がまた新発明の応用に苦心している話をした。それは印気(インキ)の助けを借らないで、鮮明な印刷物を拵(こし)らえるとか云う、一寸(ちょっと)聞くと頗(すこぶ)る重宝な器械に就(つ)いてであった。
…中略…
この印刷術は近来英国で発明になったもので、根本的にいうとやはり電気の利用に過ぎなかった。電気の一極を活字と結び付けて置いて、他の一極を紙に通じて、その紙を活字の上へ圧し付けさえすれば、すぐ出来るのだと小六が云った。色は普通黒であるが、手加減次第で赤にも青にもなるから色刷などの場合には、絵の具を乾かす時間が省けるだけでも大変重宝で、これを新聞に応用すれば、印気や印気ロールの費(ついえ)を節約する上に、全体から云って、少くとも従来の四分の一の手数がなくなる点から見ても、前途は非常に有望な事業であると、小六は又安之助の話した通りを繰り返した。
『門』,新潮文庫,括弧内筆者
とあります。漱石はどこかでこの新発明の話を聞き及んで,作品の中に取り入れたのではないでしょうか。電圧をかけて押しつけるとか,手加減で色が変わるとなどと聞くと,電気化学反応の応用ではないかと想像してしまいます。
(mich 2001/1/28)