宮沢賢治には家出の経験があります。25歳の冬(1921年1月),着のみ着のまま家を出て上京しました。生活費を稼ぐために見つけた職場が,東大・赤門前の文信社という謄写(とうしゃ)プリント店でした。文信社は,東大の講義ノートを学生から借り出して,謄写版(いわゆるガリ版)で印刷し,販売するのをなりわいにしていました。賢治はその会社でガリを切る仕事についたのです。
ところが,その年の8月に妹トシが病気になり,電報を受け取った賢治はただちに花巻へ帰ります。家出の期間はわずかでした。賢治はその後,花巻農学校や羅須地人(らすちじん)協会において謄写印刷を活用し続けました。下記の文献には,農学校教員室で謄写版印刷機とともに写っている賢治の写真が掲載されています。
もともと謄写版の経験があった賢治ですが,文信社での経験が生かされたようです。
なお,賢治の作品には,活版印刷の文選のシーンは出てきますが,ガリ版は出てこないそうです。
※余談 筆者が学生の頃(1988年頃),試験前になると,教養部の廊下には,講義ノートのコピーの束を大量に積み上げて売っている学生がよく見られました。今も昔も考えることは同じですね。なお,文信社が始めた謄写版による講義録の出版は,他大学にも広がりましたが,東大法学部教授の告訴などを契機に,1930年代なかばには一斉に営業を停止したそうです。
以上,下記の文献を元に執筆しました。詳しくはこちらを参照ください。オススメです。
執筆:mich(2002/03/10)